對馬時男とは、
名古屋市在住の
作曲家・ヴィオラ奏者です。

對馬時男
(つしまときお)とは、
名古屋市在住の
作曲家・ヴィオラ奏者です。


プロフィール
経歴
1987年東京生まれ。
東京藝術大学音楽学部器楽科ヴィオラ専攻卒業。卒業後は作曲家を志す。
東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。
これまで、ヴァイオリンを物集女純子、ヴィオラを坂口弦太郎、百武由紀、大野かおる、佐々木亮、故・川崎和憲、ピアノを故・大園玲子、砂原悟、井上紀子、東浦亜希子、作曲を井元透馬、野平一郎の各氏に師事。
作品
弦楽器のための作品を中心に委嘱多数。ヴィオラアンサンブル作品はAlto de Campagneから4曲の委嘱他、編曲作品はNHK交響楽団、東京都交響楽団などのヴィオラセクションで演奏される。近年は、「権現堂の弥三郎婆」を始めとした合唱作品、音楽劇「紀州のタヌキと四国のキツネのとんでも国替え物語」など舞台作品の作曲も手がける。
もっとくわしいプロフィール
あまり自分のことを話しすぎるのは良くないかもしれない。でも、これからの時代は作家・作品の双方にストーリー性が求められるので書き記す次第。
幼少時代
5歳からピアノとヴァイオリンを始める。
地元で一番ちゃんとした音楽教室に通い、
ピアノ、ヴァイオリンを1日30分ずつ、義務として練習する。
小学校〜高校まで
小学校は地元の公立校に通う。入学後、新たな習い事としてフレーベル少年合唱団で合唱に親しむ。ピアノとヴァイオリンも、黙々と1日30分ずつ練習を続けている。
小学校の終わりには、ヴァイオリンのみ地元の教室を辞め、実力派ヴァイオリニスト・物集女純子氏に習い始める。
中学は吉祥寺にある私立明星学園に進学する。
ピアノは続けているが、地元の教室が廃業したため、当時習っていた先生で生徒の家(自衛隊員用の団地の一室)を使用したレッスンを継続する。
また、中学二年に上がるとジュニアフィルハーモニックオーケストラという、東大生、藝大生がうようよいる団体に入る。ここで、自分のヴァイオリンがいかに下手かを痛感する。
高校はそのままエスカレーターで進む。
高校に入ってもヴァイオリン、ピアノは続けていた。しかし、あるときピアノの発表会で酷い演奏をしたことをきっかけにピアノの先生を変える。
藝大楽理科出身のピアノ講師、故・大園玲子先生の元でピアノの基礎を叩き込まれる。
(これが後の作曲科再入学を助けることになる)
また、続けていたジュニアフィルでヴィオラを弾いたのをきっかけに、ヴァイオリンからヴィオラに転向する。高二になった時点から、プロのヴィオラ奏者になるべく藝大のヴィオラ科を目指すようになる。
坂口弦太郎先生、百武由紀先生、大野かおる先生に習い、なんとかギリギリ藝大のヴィオラ実技を突破する。また、ソルフェージュは音大受験のエキスパートである井上紀子先生に面倒をみてもらう。井上先生は、のちに作曲科再受験を受けた際にもレッスンを受けている。
第一期大学時代
大学に入ったが、相変わらず専攻実技のヴィオラはパッとしなかった。しかし、非常に上手な仲間と室内楽をする機会を沢山いただき、一応最低限ヴィオラで内声を弾くことを覚える。
このころ同級生と遊びで作曲したりしていたが、ヴィオラの練習よりも作曲の方が楽しく、集中して取り組めていることに気づく。
徐々に作曲への憧れが強まる。
フリーランス兼、浪人時代
大学卒業後、やはり作曲を専門にしたいと親に無理を言い、藝大の作曲科への再入学を目指す。井元透馬先生に師事し、作曲の基礎を学ぶ。またその間、ヴィオラの演奏の仕事やヴァイオリンやピアノの講師として働く。
第二期大学時代
4年後、25歳にして藝大の作曲科に入学。野平一郎先生に師事する。
新しい音楽と向き合うが、自分の気質のせいか、より保守的な音楽への興味が明確になる。そのためか、大学再入学後も継続して和声やフーガを探求する。
またこの頃は、20代の浪人期間から解放され、自動車免許を取得したり旅行に行ったり楽しく過ごす。
大学卒業後~いま
2回目の大学卒業後、紆余曲折あり名古屋に引っ越す。さすがに30歳を超えたので就職せねばと思い、音楽関係の企業で働く始める。会社員の仕事を通じて、クラシック以外のポップスや民族音楽への興味が強まる。
また、当時住んでいたマンションの上の階にDTM教室があり、その教室に顔を出すうちに一般的なポップスの基礎がおぼろげながら分かるようになる。
名古屋に移住してしばらくの間は創作のペースは控えめだったが、次第にオペラの自作、オーケストラの編曲などにも携わるようになる。近年は再びヴィオラを弾くようになり、より充実した音楽活動を行うべく邁進していく所存。